灰色の雲
灰色の雲
Have a Fruitful Day!

心が曇ってしまう日も

-後編-

緑の鳥

汐見夏衛

赤い鳥

小さいころ、
よく遊びに行っていた
おばあちゃんの家の玄関には、
ツバメの巣があった。
幼かったわたしには、
近くで見るツバメは
ずいぶん大きく感じられて、
風を切るようにものすごい速さで
飛んでくるのも怖ろしくて、
「こわい、こわい」と怯えていた。

家

するとおばあちゃんが
「大丈夫だよ」とわたしを抱きしめて、
言ったのだ。
「ツバメが巣をかける家は
縁起がいいって言われているんだよ。
ツバメが幸せを運んできてくれるんだって。
幸運の鳥だよ。だから怖がらなくても大丈夫」

おばあちゃんは、
わたしが小学校に上がる前に、
病気で亡くなってしまった。
でも、幼な心にわたしは、
優しくて明るくて、
たくさんお話をしてくれる
おばあちゃんのことが、大好きだった。

「ツバメは天気も教えてくれるんだよ」
「ええっ、天気を? どうやって?」
「ツバメが低く飛ぶと雨が降る、
高く飛ぶと晴れるって言われているの」
そんなふうに、
おばあちゃんの家の縁側で、
庭の草木や鉢植えの花や
空飛ぶ鳥を見ながら、
いろんな話を聞かせてもらったのを
思い出す。

縁側

ぽかぽかと日の当たる
あたたかい縁側には、
いつも、湯呑みとガラス皿があった。
淹れたてのお茶と、旬の果物。
それを飲みながら、食べながら、
おばあちゃんとわたしは
たくさんお話をした。

お茶

「あなたに覚えておいてほしい
ことがあるの」
再び記憶の鼓膜を揺らす、
懐かしい声。
「生きていればね、
心が曇ってしまう日もある。
人生、ずうっとご機嫌な
お天気ってわけにはいかない。
どうやったって晴れないときもある」
そんな話もしてくれたっけ。
あのころのわたしには、
まだ難しくて、よく分からなかった。

でも、今のわたしは、
おばあちゃんのくれた
言葉の意味を、理解できる。
人生には、
心が曇ってしまう日があるということ。
歩き続けるのが難しいときがあること。
わたしは思わず俯いた。すると、
おばあちゃんの優しい声が降ってきた。
「そういうときは、
無理に歩かなくてもいいんだよ」

わたしはちらりと目を上げる。
「疲れたら、ちょっと立ち止まって、
休憩すればいいの。
深呼吸をして、お茶を飲んで、
疲れた心をやわらげて。
落ち着いてきたら、果物でも食べて、
気持ちをしゃっきりさせる。
そうしたら、いつの間にか
心は晴れているものだよ」
おばあちゃんがゆっくりと近づいてきて、
わたしに手を伸ばした。
「大丈夫、大丈夫。あなたなら、大丈夫」
おばあちゃんの両腕が
わたしを抱きしめる。

フルーツ

わたしはいつの間にか、
子どもに戻っていた。
小さなわたしの身体は、
おばあちゃんの柔らかい腕の中に、
すっぽり包まれている。
「覚えていてね。
おばあちゃんは、
ずうっとずうっと
あなたの味方だからね」
あのころも、
同じように言ってくれた。
幼くてまだ理解できないでいるわたしに、
それでもおばあちゃんは
何度も言ってくれた。

女の子とおばあちゃん

強く抱きしめて、
優しく頭を撫でて、
そっと頬ずりをして、語りかけてくれる。
「おばあちゃんは、あなたよりも先にお空の星になってしまうけれど、
お空の上から、ずうっとずうっと
あなたのことを見守っているからね。
晴れていても、曇っていても、
大雨が降っても、あなたのお空には、
おばあちゃんがいるからね」

--無理に歩かなくてもいい。
--疲れたら、休憩すればいい。
--大丈夫、大丈夫。
--ずうっとずうっとあなたの味方。
--ずうっとずうっとあなたを見守っている。

おばあちゃんのあたたかい言葉が、
冷えきっていたわたしの心に
じんわりと染み込み、
柔らかくほぐしてくれる。
不思議と力が湧いてくる。
「うん……ありがとう」
わたしもおばあちゃんを抱きしめ返し、
そう答えた。

女の子

視界の端を、鮮やかな色がよぎった。
わたしは目を上げる。
ツバメが空高く飛び上がった。
ぐんぐん遠ざかって、
姿が見えなくなる。
雲が晴れ、光が射す。
思いきり深呼吸をする。
フルーツとお茶の新鮮な香りを、
胸いっぱいに吸い込む。
古い空気を全部吐き出して、
新しい自分になる。
自然と頬が緩み、笑みが浮かんだ。

赤い鳥と緑の鳥

「――わたし、行かなきゃ」

そう呟いた自分の声で、
はっと目が覚めた。
そこは自分の部屋のベッドの上だった。
ああ、夢だったのか、と気づく。
頬が濡れていた。
眠りながら泣いていたらしい。
わたしは涙を拭き、立ち上がる。
カーテンの隙間から、
青空が覗いていた。

泣いている女の子

勢いよくカーテンを開けて、
太陽の光を全身に浴びる。
あたたかい春の日射しに包まれて、
身体のすみずみにまで
力が漲るような気がした。
思いきり息を吸い込んで、
うーんと大きな伸びをして、
ゆっくりと息を吐き出した。

風になびくカーテンと窓

よし、行こう、と思う。
行こう。新しい世界へ。

新しい世界へ行って、
そこで出会った人たちに、
勇気を出して話しかけてみよう。
初めからうまくはいかないかもしれない。
きっと、うまくいかない。
でも、大丈夫。
わたしの心には、
晴れていても曇っていても、
ずうっとわたしを見守ってくれている、
最大の味方がいるから。

さあ、
新しい自分を見つけに、行こう。

-おわり-